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「前橋ウィッチーズ」~なぜ魔法に夢を託せないのか~

2025 8/25
アニメ
2025年8月19日2025年8月25日

アニメ「前橋ウィッチーズ」を観た。
久しぶりにはまったアニメだった。
ただ思うところもあったので、感想も交えながら語っていきたい。

目次

観始めた経緯

普段、アニメは原作がよっぽど好きなものしか観ないのだけれど、Youtubeでplanetsの批評座談会で取り上げられているのを観たことをきっかけに興味を持って観始めた。

planetsの批評座談会は、どのメンバーも好きなのだが、私は特に、成馬零一氏の批評が好きで彼は批評的に物語をどう見るべきなのかを素人にも分かりやすく提示してくれている気がしている。
今回は、アニメ未視聴の状態で批評座談会を観たのだが、成馬氏のアズの口癖「むり!」の意味の変容がドラマ的であるとの指摘を聞いていたおかげで、このアニメのドラマ的なエモさに気づくことができた。
あまり観る気のなかった名作を観る機会を与えてくれるので、このチャンネルはおすすめである。

心にお花を咲かせるとは?

第1話を観た感想としては、まずユイナのキャラクターに苦手意識を感じて、もう見るのやめようかと思ったのだが、2,3話あたりで取り上げられるアズの悩みに新しさを感じて、そこから前のめりになって見始めた感じた。
というのもこう言ったアイドル物のアニメというのはヴィジュアルがある程度整ったキャラを主要キャラに据えるのがお約束だと思っていたので、アズの現実世界での体型をどう処理していくのかに興味を抱いたからだ。

しかし、最終的にこの問題は、自分は太った体が嫌いなのだけれど、その太った自分も自分なのだというアズの解釈で一旦、解決された。
いや、解決されたのではなく、一旦、保留にして、問題を先送りにした。
これは、このアニメの特徴であると思うだが、魔法で来店したお客さんの悩みを解決すること或いは、そのことで獲得していく魔力で魔女見習いたち自身の願いを叶える。

その図式が第1話で魔女の在り方としてケロッぺから提示されているのだが、根本的な解決がすること(願いが叶うこと)は無いのだ。
魔女見習いたちが魔力をもって実現することとしては、お店に(福利厚生として)クーラーを付けるなど、個人個人の些細な欲望を叶えることだけだった。

お客さんの悩みを解決すること。その代替手段として提示されるのが、ユイナがお店のコンセプトとして掲げた「心にお花を咲かせる」というものだった。

問題を根本的に解決するのではなく、歌と踊りで来店者を励まし、元気づける。

作中で取り上げられる悩みとして、高校生女子の進路問題やルッキズムなど現代ならではの社会的な問題が主だったので、その根本的な解決は難しく彼女ら悩みを抱えた者たちに「心にお花を咲かせる」ことで問題に向き合うための活力を与えることで、一旦、保留にして問題を先延ばしにする選択肢を与える。(大事なことだ)
結果的にこれは功を奏している。というか物語はその前提で作られている。

魔女見習い達自身の悩みとしてもマイの年上女性への依存問題やキョウカの進路とモグタン事件などがあり、それもまた魔法を使った励ましで解決されるのだが、これは脚本を手掛けた吉田恵里香さんの「現実には魔法なんてな
いんだから自分たちで頑張れ」的なメッセージなのだと思う。

チョコこそ魔法を使うべき

ただ、魔女見習いたちの中でも異質な悩みがあって、その悩みを持っているのが、アズとチョコである。
アズに関しては前述したように、魔力を使って一時的な解決を図り、最終的に自身の体の問題とも折り合いをつけているのだが、チョコに関しては、他の三人とは異質な悩みでありながら、根本的な解決がなされなかったことに個人的にもやもやしている。

これは、planetsの批評座談会で宇野氏が言及していたことだが、チョコの家庭こそ、魔法的な力でもって救済されるべき対象であるということだ。

最終的にチョコは、ユイナの協力もあって家庭の問題を教師や母に相談してみるに至り、自身の負担を軽くすることに成功する。(チョコは驚くことに魔法によって可処分時間を増やし、魔女見習い業・学校・バイト・家事(妹弟の世話を含む)・祖母の介護をこなしていたのだ!)

こういった家庭の事情に私は疎いのだが、問題の大きさと日々に忙殺され、行政からの支援を受けるという発想に至らないことも確かにあるのだと思う。
その上でチョコが周りの大人たちに相談したという達成は、このアニメが伝えたかったメッセージを十分に伝えていると思う。

もっと魔法に希望を託せたのではないか

ただ、私はもっと具体的なものを描いていほしかったと感じる。
軽視しているわけではないのだが、モグタン事件を別としてマイやキョウカの抱える問題は彼女たちが大人になると、「昔はそんなこと悩んでいたなあ」とノスタルジックに振り返る青春時代の思い出に留まる可能性が高いと思う。(だからこそ、そこで立ち止まらせないためにユイナたちが「心にお花を咲かせる」ことで来店者の悩みを保留にすることが大事なのだ)
しかし、チョコの場合は違う。
彼女の問題は彼女が大人になっていくにつれ、青春時代の後悔につながる可能性がある。(だからと言って、作中で語られていたように悩みは相対化してはいけない。)

チョコはとても親想いで、優しい性格として描かれているが(老婦人に暴言を吐くシーンがあるが、それに反してチョコの老婦人への手取りは優しい)、大人になって人生がうまくいっていない場合、どうなっているか分からないし、既に老婦人への暴言にその片鱗は見えている気がする。

では、どうすればいいのか。そもそも最終話のタイトル「魔法はもういいかなって」にあるように、このアニメは、魔法に頼らず問題を解決できるようになる少女たちの成長の物語なのだと言う人もいるかもしれない。
確かにそうだ。(というか絶対にそうだ)
だが本当にそれで良かったのだろうか。

話は変わるが、スマートフォンは私たちの生活を一変してしまった。
それは、先進国のみならず、発展途上国でさえもだ。
どんなに貧困な家庭でも機種を選ばなければ、スマートフォンを子供に買い与えることができる時代になっている。
90年代前半の人にスマートフォンを見せると、魔法だと錯覚するかもしれない。
そんな魔法のような機械が国や年収を問わず持てるようになっているのだ。

我々はスマホのおかげでいろんな情報にアクセスし、世の中のことを知ることが格段に容易となった。
結果として、世の中をハックし、安価に生活インフラを獲得することが可能となった。(例えば、光回線を1年ごとに乗り換えることでキャッシュバックを受け取りつつ、違約金を乗り換え先に負担してもらうなど)

情報の民主化によって獲得した情報を駆使してルールの隙をつくこと。
勿論、違法なことはいけないが、資本主義というのは世間一般的にずる賢いと言われる人に寛容だ。

チョコは、キョウカと結託し、魔法のルールをハックして(ケロッぺも感嘆するほどに)、何か根本的に変えてしまうというとはできなかっただろうか。

チョコの問題はキョウカの問題と並行して語られ、解決される。
そして、二人の問題は知能格差という問題もわずかだが孕んでいる。
(私はもっと大きく取り上げてほしかったと感じる。)
キョウカのような頭脳明晰な人物が魔法をハックして、チョコに新たな視点を与え、問題を根本から解決してしまう。私はそんな展開が見たかった。
(チョコの頭が悪いと言いたいわけではない)

さらに言うと、魔法を通してこの先のテクノロジーの展望についても描けたはずなのだ。
かつてスマートフォンが出現して、魔法のように我々の生活を変えてしまったように、いずれは新しい魔法のような技術が安価にどんな家庭にも提供されるようになるだろう。
その夢をこの前橋ウィッチーズで用いられる魔法に託すことはできなかっただろうか。
「いや、このアニメが伝えたいのはそんなことじゃないのだ。」
やはり、そんなことを思う方もいらっしゃるかもしれないが、せっかく魔法を使った、現代社会の問題を扱うアニメなのだからこそ、チョコの問題は現実的で、具体的でもっと希望のある解決策を描いてほしかったのだ。

令和の「ユイアズ」

長く重箱の隅をつくようなことを書いてきたが、私はこのアニメがとても好きで、アズの体型問題やチョコの家庭問題の他で言うとユイナとアズの関係性にとても惹かれるものがあった。

ユイナは、天真爛漫な性格と歯に衣着せぬ発言で学校では天然キャラとして親しまれているのだろうと一見すると思うのだが、彼女自身が言及するように、人の気持ちが分からないせいで、空気の読めない発言をしてしまい学校では浮いた存在になっている。

しかも、おそらく脚本の吉田恵里香氏のメタ的なアプローチが仮託されているのがユイナで、意外と状況を一歩引いた目で見ている。
学校では浮いた存在になってしまうユイナだが、前橋ウィッチーズでは、(意図せず)みんなをまとめる存在となっている。
急に他人同士で集まって何かやるときの気まずさを皆さんはご存じと思うが、そんな時にいてくれて助かるのが、ユイナ的存在なのは言うまでもない。

私が思うのは、ユイナはアズがいなければみんなをまとめる存在どころか、前橋ウィッチーズでもいずれ浮いた存在になっていなかったかと言うことだ。(盛り上げ役の知らないところで、他のメンバーは交際を始めているが、盛り上げ役は知らず知らずのうちに孤立しているというように・・・(体験談ではない・・・))

ユイナは物語の終盤、アズに「私は人の気持ちが分からないから、アズちゃんのようにはっきりものを言ってくれると助かる」と吐露する。
アズの気を遣わない突っ込みは、アズ⇔ユイナの意思の伝達だけではなく、他のメンバーへユイナの何を考えているか分からない発言の意図を補完する役目を果たしていたことは明白だった。

そんなギャグ要素として捉えていたこれらのシーンがユイナの告白で一気に意味が変わり、序盤を思い出して、エモい気持ちになった。
ユイナとアズどちらかが欠けると、前橋ウィッチーズは崩壊していたかもしれないのだ。

アニメ
前橋ウィッチーズ 宇野常寛
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