2026年2月に新作映画「ワルプルギスの廻天」が公開されるということで、アニメ「魔法少女まどか☆マギ」を見直しました。
見直してみて、法則性のようなものを発見したので、言語化していこうと思います。
対等な関係でないとうまくいかない
まどか☆マギカ全体に共通するのだが、美樹さやかと上条恭介の関係が象徴するように、対等でない関係は、ことごとくうまくいかない。
まどか達のクラスの担任の早乙女和子でさえ、目玉焼きを「半熟じゃなきゃ食べられないとかぬかす男」との男性優位の関係は、破綻を迎えている。

でも、まどかの家庭だけはうまくいっていて、それは、父親と母親が対等な関係を結んでいるからなのだと思う。
確かにやや女性優位(妻優位)を感じる人もいるだろうけれど、まどかの父親は、自ら専業主夫となることを選んでいるのだし、彼は、妻に依存しなくても生きていくことは可能だろう。
相手と対等な関係を結ぶには、どうしたらよいのか?
それは、正しい方向で成熟した大人になることじゃないだろうか。
『魔法少女まどか☆マギカ』は、魔法少女たちが魔女という誤った方に成熟した存在でなく、正しく成熟した大人になるまでの物語を描いているのではないだろうか。
そして、正しい方向で成熟した大人になって初めて、きゅうべえのような資本主義の権化と真っ向から対峙できるのではないだろうか。
(アニメ版の最後では対等のようなきゅうべえとほむらだが、映画『叛逆の物語』では、ほむらはきゅうべえに利用されている)
続編を作ることの妥当性
アニメがあんなにきれいに終わったのに、続編を作る余地なんてあるのだろうかと思っていたが、「対等な関係でないとうまくいかない」の法則に気づいた時に、その妥当性に気づいた。
なぜなら、まどかとほむらの関係は、対等に終わっていないから。
(そして、魔法少女ときゅうべえの関係も・・・。)

アニメのラストでは、まどかがほむら(と全ての魔法少女)を救うために、神のような存在(アルティメットまどか)になり、まどかは彼女自身の人生を犠牲にする。
そして、映画「叛逆の物語」で、ほむらは神(まどか)を墜とす悪魔になった。
ここで、ただの魔法少女だったほむらは、悪魔になることでアルティメットまどかに対抗できる力を得たのだ。
まどかとほむらの関係は、「叛逆の物語」を終えた時点で対等になった。
「ワルプルギスの廻天」はどんな展開になるのだろうか。
あとがき
「ワルプルギスの廻天」をとても楽しみにしている。
予告では、新キャラも出てきていたので、ここからまた話が膨らむのだろうか?

何はともあれ、なるべく早く劇場で観たいものです・・・。(もう延期しないよね?)
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