さて、早速だが、前回に引き続き上白石萌音のカバーアルバム「あの歌」の魅力に迫っていきたい。
今回は、「あの歌-2-」を取り上げるわけだが、前の記事を読んでいない人は是非目を通してから、この記事を読んでいほしい。

収録曲の確認は下記↓
中山美穂からバトンを受け継いだ「世界中の誰よりきっと」
恥ずかしながら、この曲をもともと誰が歌っていたのかを私は2024年の正月に母と車の中でこのアルバムを聴きながら母に教わり、知った。(それまでは、なぜかZARDの歌だと思っていた。)
中山美穂さんが、その一か月前くらいの12月6日に亡くなられていたことは耳に入っていた。
なので中山美穂さんと同じく、女優と歌手を兼業している上白石萌音がこの歌をカバーすることには、山口百恵の「夢先案内人」とは別の意味を感じた。
「夢先案内人」と違って、「世界中の誰よりきっと」は若い世代でも何となく知っている人が多いと思う。
世代を問わず親しまれている「世界中の誰よりきっと」を上白石が優しい歌声で歌うとき、我々は否応なく彼女が芸能界でこれから背負っていくであろう責任というのを痛感する。
そんな1曲で「あの歌-2-」は始まりを告げる。
罪や嫉妬を感じさせない「AXIA〜かなしいことり〜」「まちぶせ」
「AXIA〜かなしいことり〜」「まちぶせ」は、どちらも若い女性のどろどろした恋模様を綴った曲だ。
「AXIA〜かなしいことり〜」では浮気する女性の言い訳めいた告解。
「まちぶせ」では、ライバルの女性を蹴落としてでも意中の男性を射落とすという執着心。
男の私には、身に染みて分かるような感情では無いし、「かなしいことり」に至っては、どうしようもないなとすら思う。
斉藤由貴の歌う「かなしいことり」を聴くと、(彼女が本当に不倫をしてしまった背景も相まって)若干の後ろめたさを読み取ってしまうし、石川ひとみの「まちぶせ」からは燃え滾る嫉妬心が滲んでいる。
しかし、上白石が歌うと上記のような女の裏の思いを感じさせない、爽やかな印象になる。
前回の記事では、女性が男性の歌を歌うことの魅力を書いたが、女性が時代を一昔前の女性の歌を歌うことは、メタ的なアプローチとして作用するのかもしれない。
素直な気持ちで歌う松田聖子の「制服」
往年の大スター松田聖子の名曲「制服」は、このアルバムでも異彩を放っている。
何より松本隆の作詞が素晴らしくて、「失うときはじめて まぶしかった時を知るの」というところを聴くと学生時代が終わってしまう寂しさを思い出す。
私は、原曲をYoutubeでしか聴いたことがないのだが、松田聖子からは、この卒業ソングを大人の態度で学生時代を追憶するように歌っている様子を感じる。
そこには、20代後半に差し掛かり社会の酸いも甘いも知った女性が学生時代の幼かった自分をいじらしく思う気持ちや、もっとああすれば良かったとかの後悔の念が込められている。
対して上白石verの「制服」には、歌詞への素直な態度がもたらすリアルタイム性がある。
上白石verの「制服」を聴けば、きっと卒業式当日の桜が散る情景を思い浮かべるだろう。
そして、その時になってもまだ(自分に言い訳して)好きな男子からの誘いに躊躇っている制服を着た女子学生の様子が脳内で再生される。
大人の視点から歌った原曲と、学生時代の終わりに立ち返った上白石ver。
是非、聞き比べてほしい。
GLIM SPANKY×上白石萌音のアレンジ「いかれたBABY」「青空」
「いかれたBABY」も「青空」もGLIM SPANKYがアレンジしたのだそうだ。
あくまで素人の所感だが、原曲よりも音も声も輪郭がはっきりして、聴きやすくなった。
ギターとか触ったことがないので、どんなアレンジしてるかとかは素人が軽々に言えないのだが、GLIM SPANKY×上白石萌音のアレンジがこの2曲の新たな良さを引き出していることは言うまでもない。
どちらもそれぞれのかっこよさがあるのだ。
総括~役者が歌うことの意義とは~
さて、では「あの歌-1-」と「あの歌-2-」を総括してみたい。
「あの歌-1-」は、単調なようだが、奥行きの深い曲たちと上白石萌音のこだわりが聴く人にリフレインする欲求を与えていることは、前回の記事で述べたとおりだ。

それでは、「あの歌-2-」にテーマを見出すならどうなるだろうか?
私は、「役者が歌を歌うこと」の意義についてだと思った。
「世界中の誰よりきっと」や「制服」「PRIDE」で想い人に対する愛を歌ったのに、対し
「AXIA〜かなしいことり〜」や「まちぶせ」では、昼ドラのような世界観を歌った。
一方で、「ブラックペッパーのたっぷりきいた私の作ったオニオンスライス」、「いかれたBABY」、「青空」などバンドの曲もカバーし、彼女の世界観で歌い上げた。
カバーアルバムは、他人の歌をカバーするゆえに多彩な曲を歌うことになる。
今回、上白石は「あの歌-1-」では70年代の名曲、
「あの歌-2-」では、80~90年代の名曲と、
曲のコンセプトではなく、年代ごとに彼女が偏愛している曲を選りすぐっているので、その傾向は顕著だろう。
結果として、「あの歌-1-」よりも上白石の歌い分けを楽しめる雑多で楽しいCDアルバムとなった。
そして、この楽しさは、上白石萌音が(今や一線で活躍する)役者であるからこそではないだろうか?
ドラマ「舞妓はレディ」、舞台「赤毛のアン」、そして声優を務め出世作となった「君の名は。」・・・。
彼女のこれまでの経験がこのアルバムを豊饒なものにしているとは、思えないだろうか。
そして、大女優であり、大物歌手である山口百恵と松田聖子の系譜を
2枚のアルバムを通して上白石萌音にも感じてしまうのだ・・・。
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