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【レビュー】『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来~ごめん、面白くなかった~

2025 9/10
映画
2025年9月10日

劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来を観てきた。

胡蝶しのぶと童磨の戦いは、原作でも結構、好きな方だったので、期待して観に行った。

しかし、結論から言うと、面白いとは感じられなかった・・・。

もちろん、戦闘シーンなど見ごたえはあったのだが・・・。

理由を述べていきたい。

目次

楽しめたところ

まずは、楽しめたところから話していく。

冒頭でも述べた通り、戦闘シーンは、迫力があって、とても楽しめた。

特に、善逸と獪岳の戦いでは、善逸の技がよく映えてて、良かったと思う。

炭治郎のヒノカミ神楽の円舞もやっぱかっこいい。

あとは、カナヲのキレ顔が好きだったので、アニメでも再現してくれていて良い感じだった。

・・・。

なんだか薄っぺらいが、以上だ。

次章からは、酷評していくので、読みたくない人は、ブランドバックしてください。

長尺にするには、物語としての耐久性がない

鑑賞中に感じたのだが、なんだか全体的に長い。

約2時間半くらいの上映時間なのだが、体感3時間だった。

原作には無いシーンも入ったり、無駄なセリフが入ったり。

以前からだが、キャラの喋り方が演劇っぽくて、ゆったりしているので、聞いていて、そわそわする。

はきはき喋るのは聞き取りやすくて助かるのだが、原作の良さを損なっていると感じる。(後述する)

確かに長くすることで、原作では描けなかったシーンを加えることができたり、それによって原作には無い魅力を出せることもあるだろう。

だが、はっきり言って、逆効果だと感じた。

「鬼滅の刃」は、面白いコンテンツだが、映像での時間体験で味わうと、物語としての耐久力がないことが露呈してしまう。

心情を語りすぎる

「鬼滅の刃」という作品の特徴として挙げられるのが、登場人物たちの(敵、味方などの)立場に関わらず、彼らの過去や心の機微を描くことだろう。

私も原作を読んでいて、目頭が熱くなったりしたこともあった。

だが悲しいことに、今回、劇場で観て、それらのシーンにとても白けてしまった。

過剰に心情を吐露するという手法は、静止画とテキストを組み合わせた漫画という手法で活きるものだと思う。

例えば、善逸が兄弟子である獪岳の満たされない自尊心を「幸せを入れる箱に穴が開いているんだ」と表現するシーンがある。

原作では、もちろんだが静止画で底の空いた箱から砂のようなものが零れているさまを描くことで、善逸の言葉を補完している。

映画では、それを美しいアニメーションを用いてスクリーンに大々的に表現している。

漫画という表現ならテキストの意味を脳が理解するのに、そこまでの時間はかからない。

そのあっさりとした漫画での時間体験と吾峠呼先生の詩的な台詞が心地よい快楽を生む。

しかし、間延びしたアニメーションでの表現だと、漫画では感動的と捉えていた言葉にあまり重みがないことに気付いてしまう。

そして、演劇的に発声される分かりやすすぎる比喩を眼前に迫る美しいアニメーションが補完することで、白々しささえ感じてしまう。

端的に言うと、大げさなのだ。

この大げさ感は、アニメとしての「鬼滅の刃」に対し総じて言えることだが、劇場となるとさらに強調される。

だからこそ、無限城編は上・下の二部作にして、もっとコンパクトにして方が良かったのではと思う。

敵の魅力の無さ

獪岳と猗窩座に全く魅力が感じられなかったことが、この劇場版を面白くないと感じた最大の理由だと思う。

(まだ決着がついていない堂磨に関しては、言及しないことにする。)

獪岳に関しては、大げさなボディランゲージのせいで胡散臭いオンラインサロンの主催者のようだった。

それでも元来、獪岳は、善逸の成長を示すためのかませ犬的な存在だから、置いておくとする。

問題は、猗窩座だ。

この映画の裏主人公的な立ち位置だったし、存在感もある。

戦闘シーンもかっこいい。

だが、問題は過去編なのだ。

前述したように冗長なアニメーション表現のせいで、大げさ感が強調されていたことを鑑みても、原作の弱さが露呈していると言わざるを得ない。

猗窩座過去編での原作の弱さとは何か?

それは、猗窩座が死生観が薄っぺらいことなのだ。

猗窩座がすべきだったのは、強くなることではない。

強さに甘えることをやめるべきだった。

猗窩座は、師匠と婚約相手が姑息な方法で殺され、「弱いやつは嫌いだ」という思考になる。

そして、強くならねばならぬと、果てには鬼になってしまう。

師匠と婚約相手が殺されたのは、猗窩座が弱かったからだろうか?

いや、違う。

原因の一端は、猗窩座と(いつも不気味に笑っている)師匠が圧倒的に強すぎたことだ。

そして、その強さに甘え、隣の道場の人々に耳を傾けなかったことだ。

そのことに炭治郎に敗れた時に気づけていたら、まだ良かった。

だが、死を前にした猗窩座の心に現れるのは、都合の良い言葉をかけてくれるだけの父、師匠、婚約者だ。

それは、あまりにも独善的すぎやしないだろうか。

そもそも、この父と師匠が猗窩座鬼化の発端である。

まず、父が誰かを守ることにしか生き甲斐を見出せない人生観を猗窩座の中に作りだし、師匠がその価値観を実現してくれる環境を用意する。

そして、猗窩座の目の前に現れたのが、都合の良いことに器量が良くて、病弱で、奥ゆかしい守り甲斐のある女の子だった。

(不細工で、傲慢な女の子だったら、猗窩座は鬼になったろうか?)

結果として、強さだけを求めるマッチポンプ的人生しか送れなくなってしまう・・・。

誰かを守るために強さだけを求めるという話を美化しようとするあまり、原作者自身も強さに甘えてしまった。

そして、猗窩座の過去はとても軽薄な話になってしまったというのが、個人的な結論だ。

あとがき

第二章には期待している。

カナヲと堂磨の決着が、どんな出来栄えになるのか楽しみだ。

ここまでご覧いただきありがとうございました!

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