アニメ「前橋ウィッチーズ」を観た。
久しぶりにはまったアニメだった。
ただ思うところもあったので、感想も交えながら語っていきたい。
心にお花を咲かせるとは?

第1話を観て、まずユイナのキャラクターに苦手意識を感じた。
だが、2,3話あたりで取り上げられるアズの悩みに新しさを感じて、そこから前のめりになって見始めた感じた。
アズの現実世界での体型をどう処理していくのかに興味を抱いたからだ。
しかし、最終的にこの問題は、自分は太った体が嫌いなのだけれど、その太った自分も自分なのだというアズの解釈で一旦、解決された。
いや、解決されたのではなく、一旦、保留にして、問題を先送りにした。
「前橋ウィッチーズ」のコンセプトは、魔法で来店したお客さんの悩みを解決すること或いは、獲得していく魔力で魔女見習いたち自身の願いを叶えるというものだ。
しかし、物語を通して、魔法によってお客さんの悩みが根本的な解決には至ることはない。
魔女見習いたちにしても、魔力を使ってすることといえば、お店に(福利厚生として)クーラーを付けるなど、個人個人の些細な欲望を叶えることだけだった。
お客さんの悩みを解決すること。
その代替手段として提示されるのが、ユイナが掲げた「心にお花を咲かせる」というものだった。
それは言い換えると、問題を根本的に解決するのではなく、歌と踊りで来店者を励まし、元気づけることである。
作中で取り上げられる悩みとして、JKの進路問題やルッキズムなど現代ならではの問題が主だったので、根本的な解決は難しい。
だから、悩みを抱えた者たちの「心にお花を咲かせる」ことで問題を一旦、保留にして先延ばしにする選択肢を与える。(大事なことだ)
結果的にこれは功を奏している。というか物語はその前提で作られている。
これは脚本を手掛けた吉田恵里香さんの「現実には魔法なんてないんだから自分たちで頑張れ」的なメッセージなのだと思う。
チョコこそ魔法で救われるべき

ただ、魔女見習いたちの中でも異質な悩みがあって、その悩みを持っているのが、アズとチョコである。
アズに関しては前述したように、魔力を使って一時的な解決を図り、最終的に自身の体の問題とも折り合いをつけていった。
だが、チョコの家庭こそ、魔法的な力でもって救済されるべき対象であるのに、根本的な解決がなされなかったことに個人的にもやもやしている。
最終的にチョコは、ユイナの協力もあって、彼女の負担を軽くすることに成功した。
(チョコは驚くことに魔法によって可処分時間を増やし、魔女見習い業・学校・バイト・家事(妹弟の世話を含む)・祖母の介護をこなしていたのだ!)
こういった家庭の事情には、疎いのだが、問題の大きさと日々に忙殺され、行政からの支援を受けるという発想に至らないことも確かにあるのだと思う。
だからチョコが周りの大人たちに相談したことは、このアニメが伝えたかったメッセージを十分に伝えていると思う。
もっと魔法に希望を託せたのではないか

ただ、私はチョコの問題に関しては、もっと具体的な解決策を描いていほしかったと感じる。
軽視しているわけではないのだが、モグタン事件を別としてマイやキョウカの抱える問題は彼女たちが大人になると、「昔はそんなこと悩んでいたなあ」とノスタルジックに振り返る程度の思い出に留まる可能性が高いと思う。
(だからこそ、そこで立ち止まらせないために「心にお花を咲かせる」ことが大事なのだ。)
一方、高校卒業後、チョコに待ち受けているのは、これまでの家事やおばあちゃんの介護に加え、労働、家事、妹と弟の学費問題、そして、いずれは母親の介護・・・。
チョコの家庭の問題は、大人になったチョコを闇落ちさせる可能性がある。
(だからと言って、作中で語られていたように悩みは相対化してはいけない。)
では、どうすればいいのか。
話は変わるが、スマートフォンは私たちの生活を一変してしまった。
それは、先進国のみならず、発展途上国でさえもだ。
どんなに貧困な家庭でも機種を選ばなければ、スマートフォンを子供に買い与えることができる時代になっている。
90年代前半の人にスマートフォンを見せると、魔法だと錯覚するかもしれない。
そんな魔法のような機械を国や年収を問わず持てるようになっているのだ。
我々はスマホのおかげでいろんな情報にアクセスし、世の中のことを知ることが格段に容易となった。
結果として、世の中をハックし、安価に生活インフラを獲得することが可能となった。(例えば、光回線を1年ごとに乗り換えることでキャッシュバックを受け取りつつ、違約金を乗り換え先に負担してもらうなど)
情報の民主化によって獲得した情報を駆使してルールの隙をつくこと。
勿論、違法なことはいけないが、資本主義というのは世間一般的にずる賢いと言われる人に寛容だ。
チョコは、キョウカと結託し、魔法のルールをハックして(ケロッぺも感嘆するほどに)、何か根本的に変えてしまうというとはできなかっただろうか。
さらに言うと、魔法を通してこの先のテクノロジーの展望についても描けたはずなのだ。
かつてスマートフォンが出現して、魔法のように我々の生活を変えてしまったように、いずれは新しい魔法のような技術が安価にどんな家庭にも提供されるようになるだろう。
その夢をこの「前橋ウィッチーズ」での魔法に託すことはできなかったのだろうか。
令和の「ユイアズ」

長く重箱の隅をつくようなことを書いてきたが、私はこのアニメがとても好きで、アズの体型問題やチョコの家庭問題の他で言うとユイナとアズの関係性にとても惹かれるものがあった。
ユイナには、天真爛漫な性格と歯に衣着せぬ発言で学校では天然キャラとして親しまれているのだろなと初めは、そんな印象を抱く。
だが、ユイナ自身が言及するように、人の気持ちが分からないせいで、空気の読めない発言をしてしまい学校では浮いた存在になっている。
学校では浮いた存在になってしまうユイナだが、前橋ウィッチーズでは、(意図せず)みんなをまとめる存在となっている。
急に他人同士で集まって何かやるときの気まずさを皆さんはご存じと思うが、そんな時にいてくれて助かるのが、ユイナ的存在なのは言うまでもない。
私は思う。
ユイナはアズがいなければみんなをまとめる存在どころか、前橋ウィッチーズでもいずれ浮いた存在になっていなかったかと。
(盛り上げ役の知らないところで、他のメンバーは交際を始めているが、盛り上げ役は知らず知らずのうちに孤立しているというように・・・(体験談ではない・・・))
ユイナは物語の終盤、アズに「私は人の気持ちが分からないから、アズちゃんのようにはっきりものを言ってくれると助かる」と吐露する。
アズの気を遣わない突っ込みは、アズ⇔ユイナの意思の伝達だけではなく、他のメンバーへユイナの何を考えているか分からない発言の意図を補完する役目を果たしていたことは明白だった。
それだけの要素と捉えていたユイナとアズの関係がユイナの告白で一気に意味が変わり、序盤を思い出して、エモい気持ちになった。
ユイナとアズどちらかが欠けると、前橋ウィッチーズは崩壊していたかもしれないのだ。
あとがき
ところで、このアニメを観た人は、下記の動画を観てほしい。
planetsの批評座談会は、どのメンバーも好きなのだが、私は特に、成馬零一氏の批評が好きで彼は批評的に物語をどう見るべきなのかを素人にも分かりやすく提示してくれている気がしている。
今回は、アニメ未視聴の状態で批評座談会を観たのだが、成馬氏のアズの口癖「むり!」の意味の変容がドラマ的であるとの指摘を聞いていたおかげで、このアニメのドラマ的なエモさに気づくことができた。
あまり観る気のなかった名作を観る機会を与えてくれるので、このチャンネルはおすすめである。
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